熊本と阿蘇、さらに大分を結ぶ交通の要衝に位置する菊陽町には、古くから人とモノが行き交った重要な道が数多く作られました。大津の杉並木として知られる豊後街道をはじめ歴史的に重要な街道、暮らしに密着した生活道。今もその多くの道が使われていますが、道沿いには石碑などがあって、その歴史を物語っています。
参勤交代の道として知られる豊後街道は肥後四街道の一つで、幅が広いところでは40メートルもある、現代の幹線道路に匹敵する道です。街道沿いには、細川忠利公から兵法指南役として招かれた剣豪・宮本武蔵の墓所、武蔵塚公園などもあります。
また、肥後の国府「飽田府」と阿蘇・南郷さらに大分・竹田を結ぶ南郷往還は古くから経済文化の交流の重要な道でした。国道57号の開通などで使われなくなりましたが、苔むした石畳の道に立つと往時の華やかさをしのぶことができます。
ほかにも大津と合志の竹迫を結ぶ竹迫往還など、現代も大切な生活道として生きている道が町内に数多くあり、文化的遺産ともなっています。
豊後街道の北側には地筒の者(鉄砲衆)が暮らした集落「鉄砲小路(てっぽうこうじ)」が造られました。この集落では、豊後方面からの敵に備えるとともに、未開墾地の開拓にあたりました。現在では約4キロにわたって旧武家屋敷に見事な生け垣が整備されています。集落の中にある蘇古鶴神社は鉄砲小路の守護神として阿蘇神社より勧請されました。
大津町は参勤交代の宿場町として、また熊本藩の行政区分・旧大津手永(現在の大津町、菊陽町、旧旭志村)の役所が置かれるなど、地域の中心として賑わっていました。藩主が宿泊・休憩した「御茶屋跡」や、藩主の通行の安全を守るために臨時で置かれる関所の跡「室簀戸口門跡」、年貢米の運搬などの中継基地になっていた「人馬所跡」など、江戸時代にまつわる史跡が多数あります。
杉並木で有名な豊後街道では、いろんな人やモノが行き交い多くの物語が生まれています。
宿場町の繁栄の名残り、街道を守るための鉄砲衆の暮らし、道を通った旅人の足跡など、歴史をつないだ道にまつわる文化財をめぐります。
GPS起動中
お使いの端末のGPS機能の利用を許可すると現在地の表示や、
目的地までのルートを表示することが出来ます。
江戸時代の桜の名所
豊後街道は、大津町から阿蘇郡阿蘇町二重峠までの間、加藤清正公にちなんで清正公道と呼ばれています。途中に熊本城から五里を示す「五里木」がありました。「五里木」一帯は、街道筋に植えられた桜の木を育成したところで、花見の場所にもなっていました。